"ヘルマンハープのスピリットを伝え、ヘルマンハープの美しい音をみなさんとともに楽しむ!"をモットーに、
ヘルマンハープの「バリアフリー性」、そして、「ヘルマンハープの芸術性」を育む活動を全国で行っています。
ヘルマンハープはドイツ・バイエルン州の農場主、ヘルマン・フェー氏によって1987年にダウン症の息子のために開発されました。ダウン症の息子に『メロディーを自分で演奏することのできる楽器を与えてあげたい』と願っていたヘルマン氏は、まず、ヘルマンハープの楽譜のシステムを考案します。そして、この楽譜を使った演奏システムと、息子の身体の特徴に合わせた新しい楽器"ヘルマンハープ"を開発しました。
ゆったりとした、澄んだ音色を持ち、専用の楽譜を差し込めば、五線譜が読めなくてもすぐに弾けるので、ヘルマンハープは、健常者の間でも評判となり、日本でも愛好者が増えています。開発者のヘルマン氏は、音楽経験にかかわらず、すべての人が本物の音色で、弦楽器の演奏を楽しめる音楽の世界を作り出した功績を讃えられ、1995年にドイツ連邦共和国の大統領から、功労勲章功労メダルを受賞しました。
2004年から梶原千沙都による日本での普及がはじまり、2015年現在、日本でも3500名以上がヘルマンハープを愛好しています。梶原千沙都は日本でヘルマンハープのインストラクターを育成指導し、2012年には世界ではじめての体系的な奏法指導書「ヘルマンハープの奏法〈基礎編〉」を音楽之友社より出版しました。ヘルマンハープの演奏楽器としての芸術性が日本で大きく開花しました。
ヘルマンハープについてもっと知る1960年生まれ。奈良女子大学卒業。日本ヘルマンハープ振興会会長。産経新聞厚生文化事業団評議員。
2003年に当時在住中のヨーロッパで、もともとダウン症の息子のためにドイツ人の父親が開発したヘルマンハープに日本人としてはじめて出合う。ヘルマンハープ開発者のヘルマン・フェー氏より日本でのヘルマンハープの普及事業を一任されて2004年に帰国し、日本ヘルマンハープ振興会を設立。
以来、音楽と福祉をつなぐ芸術活動、コミュニティ活動を推進し、ヘルマンハープでの生涯教育を全国的に統括している。自ら指導・育成してきたインストラクターの教室は、北海道から九州まで全国に約140個所あり、ヘルマンハープ倶楽部などのサークルや愛好者が年々増えている。
年間3000人にヘルマンハープを教えながら、世界で初めてヘルマンハープの体系的な奏法を自ら開発。
2012年には体系的な奏法指導書『ヘルマンハープの奏法〈基礎編〉』(梶原千沙都著)が音楽之友社から出版された。本国ドイツにもなかったヘルマンハープの基礎を開発し、「誰もがすぐ弾ける」という遊びでしかなかったヘルマンハープの演奏を、豊かな音楽表現の可能な芸術楽器へと導いた功績は本国ドイツでも高く評価されている。
またヘルマンハープのソロ奏者、梶原千沙都の美しい弾き方と音楽表現は観客を魅了し、ドイツ本国の指導者たちからも「現在、世界最高のヘルマンハープ・ソロ奏者」の称賛されている。奏法理論に基づいた本格的なヘルマンハープのソロ演奏を確立させ、2014年には東京、大阪、福岡で世界初のソロリサイタルを開催し、多くの来場者がヘルマンハープの芸術性の開花を目の当たりにするコンサートとなった。
梶原千沙都のその活動はこれまで「NHKラジオ深夜便」や読売新聞の『顔』、日経新聞『文化欄』など多数のメディアで取り上げられ、約5000名の人が楽しむヘルマンハープの世界が日本で広がった。 インクルーシヴな社会を目指して、講演や演奏会などでヘルマンハープの発祥の意味の大切さを伝えながら、本物の弦楽器、ヘルマンハープの芸術性を伝える演奏活動を行っている。
2019年、ドイツでのヘルマンハープの誕生の物語と自らのヘルマンハープ普及への思いを記した「ヘルマンハープものがたり~大切なものは何でもないところで生まれるんだよ~」をギャラクシーブックスより出版。また、自身のライフワークとして15年以上携わってきた障がい者の芸術活動支援により令和元年度の「障害者の生涯学習支援に係る文部科学大臣表彰」を日本ヘルマンハープ振興会が受賞。
CDに『会えるそのときまで』、『バリアフリーの花~ヘルマンハープサウンド』など。
ヘルマンハープの指導者として、アーティストとして、また事業家として、子育てを終えたひとりの主婦が日本で大きく切り開くことになったヘルマンハープの世界が注目されている。
2004年の日本での普及を開始した当初から、本国ドイツにもヘルマンハープの奏法はありませんでした。
ヘルマンハープの普及とともに、全国にヘルマンハープの教室が増加していきました。その一方で、ヘルマンハープ独自のノウハウが無い状態では、受講生はヘルマンハープの何を学べばいいのかわかりません。
私は、年間、延べ3000名以上の受講者にヘルマンハープを教授してきた経験と、ヘルマンハープ奏者として演奏技術の研究に着手しました。
2009年から2010年にかけて、私は、「楽器の特徴」を見出し、「演奏姿勢」や「手の形と構え」を定め、「ヘルマンハープの基本奏法」を作り出しました。それを用いると演奏上の規則性が出せることを発見したのです。
「音の長さの表現」から、「身体の使い方」まで、さまざまなテクニックを実現することのできる「ヘルマンハープの奏法」を自分で練りだしました。
「梶原千沙都開発のヘルマンハープ奏法理論」が誕生したのです。
そして、それをまとめ上げ、2010年にドイツ・バイエルン州で、ヘルマンハープの指導をしておられるドイツ人を対象に「梶原千沙都の奏法の講習会」を行いました。それは、日本で教えてきた自分の奏法がヘルマンハープの生まれ故郷でも通じるのか、それを確かめるための世界ではじめてのヘルマンハープの奏法講習会でした。
その結果、現地ドイツの指導者たちから高い評価を受け、中には「10年前にこの奏法を知りたかった」という声まで聴かれ、この奏法は国を超えて納得し理解できるものであることを実感しました。
そして2012年、世界初のヘルマンハープの体系的な奏法をまとめた『ヘルマンハープの奏法〈基礎編〉』(梶原千沙都著)が音楽之友社から出版されました。
バリアフリー時代の新たな本物の弦楽器、「ヘルマンハープ」の演奏上の課題とは何か?ヘルマンハープ演奏における、特筆すべき課題の解決策を分かりやすく書いたこの奏法指導書は、全国で、ほとんどのヘルマンハープの愛好者に活用され、絶大な信頼をいただいています。
以来、私は、インストラクターへの奏法の伝授、また、教室や講習会で皆さんに奏法を伝授しています。それによって、多くの人がヘルマンハープの演奏上の規則性を知り、芯のある音で、音楽的なヘルマンハープの演奏に取り組まれるようになりました。
奏法の開発によって、ヘルマンハープの楽器としてのポテンシャルを世にひき出すことができたことは、ヘルマン・フェー氏が生み出した本物の楽器"ヘルマンハープ"を証明する一助となりました。
単に五線譜が読めなくてもすぐに弾ける楽器と言うだけでなく、芸術的な表現の可能な本物の弦楽器、ヘルマンハープを、多くの方に自信をもって演奏していただきたいと思います。
2003年に、私は日本人として初めてヘルマンハープに出会いました。当時、私は夫の仕事の都合でウィーンに住んでいました。
ヘルマンハープに出会って半年後の2003年11月末のクリスマスの頃に、ドイツのニュールンベルクの教会で、ヘルマンハープのコンサートを初めて聴きました。
ヘルマンハープのアンサンブルのメンバーを見ると、健常者も障がい者も、若者も高齢者も、男性も女性も、全員がヘルマンハープをともに演奏しておられました。だれもがヘルマンハープを奏でている自分が素敵だという確信に満ち、その顔は明るく輝いて見えました。
それまで私は、「バリアフリーで音楽を奏でる」というと、ハンディのある人が鈴やカスタネットのような打楽器を担当するという演奏スタイルしか知らなかったため、皆がいっしょに、メロディーを奏でることのできる同じ楽器を弾いていることにたいへん驚きました。
教会に響き渡る透明な音色の美しさと、このように人の垣根を取り払ってしまうような素晴らしい楽器を息子のために開発した、ヘルマン・フェー氏の「親の心」の偉大さに声を失うほど感動しました。
当時、フェー家のご一族は、このハンドメイドのヘルマンハープを「世界的に有名にするつもりはない」というお考えでした。
しかし、ダウン症の息子のためにヘルマン・フェー氏が開発した楽器は、姿かたちも、音色も、あたかも古き時代から存在したかのように美しく、そのような楽器がドイツで生み出されたことを、ぜひとも日本のみなさんに知っていただきたいと私は思いました。多くの人に生きる勇気を与える真実の物語だからです。同時に、ヘルマン・フェー氏と息子のアンドレアスさんの名前をこの世に残したいとも思いました。
私はヘルマンハープ開発者一族から日本での普及を一任されることになり、これまでにないヘルマンハープでの音楽事業を2004年から日本でスタートさせました。
ヘルマンハープを携えて、いろいろな場でヘルマンハープの演奏や講習、講演などの活動を行ってきましたが、普及当初から、日本では、多くのシニア世代のみなさんがヘルマンハープを愛好するようになりました。
ヘルマンハープは、健常者と障がい者、音楽経験の有無を越えて奏でる誰もが満足できる、美しい音色の弦楽器です。そして、ドイツで、一台一台ハンドメイドで製作されているヨーロッパの響きを持つ弦楽器なのです。ヘルマンハープを奏でるみなさんの笑顔は感動的な音色に包まれて、いつも輝きにあふれています。笑顔がもっと広がる社会であるようにと願いながら、これからもヘルマンハープとともに歩んでいきたいと思います。