2003年3月、私は日本人として初めてヘルマンハープに出会いました。その年のクリスマスの頃、ドイツの教会で初めてヘルマンハープの演奏を聴きました。ドイツはおりしもアドベントという待降節のシーズンに入り、町中がクリスマスの飾りに使われるもみの木が放つ、「ツーン」と冴えた香りに包まれていました。
ミサはパイプオルガンと室内オーケストラ、そしてヘルマンハープのアンサンブルが交互に聖歌を奏して進んでいきました。パイプオルガンが荘厳な持続音で私たちの心を先導します。オーケストラ楽器のきらびやかな音が響き渡り、今度は静けさを呼び起こすかのようにヘルマンハープの合奏が長い余韻を漂わせながら聴こえてきました。
ヘルマンハープを奏でているのは女性、男性、障がい者、健常者、少年少女、高齢者などなど。異なる特徴を持つ人々が、誰もが「ヘルマンハープを弾いている私はステキ」だという自信にあふれて聖歌を奏でていたのです。
私はこれまで、音楽経験、障がいの有無、年齢などさまざまな人がともに演奏するとき、それぞれが演奏することが可能な、異なる楽器を手にするものだと思っていました。しかし、目の前にはそれを覆す光景が広がっていたのです。流れてくるヘルマンハープの音色はどこまでもやさしく、美しく、耳を傾けながら、知的障がいのある息子さんのためにこの楽器を生み出したヘルマン・フェー氏の親の心の偉大さに、声を失いました。
この真実の物語は、世に伝えられなければいけないと願わずにはいられませんでした。どんなに時代を経ても、このヘルマンハープ発祥の真実の物語は、間違いなく人類の宝であり続ける物語でしょう。この物語に多くの人々が、「慈愛」や「人を信じること」、そして「自分が受け入れてもらえること」を確信するからです。
ヘルマン・フェー氏は私に、「古代にさかのぼれば、ハープはもともと狩猟のときの弓を弾いていたのがその発祥。文明の発達とともに、人類は楽器を能力のあるものだけが、演奏しやすいものへと進化させてきた。その時間の軸をさかのぼったのがヘルマンハープだった」と教えてくださいました。それは、ヘルマン・フェー氏が、ダウン症という障がいを背負った4番目のお子さんを得ることで、現実としてたどり着かれた境地であったと思います。ヘルマンハープは氏の手によって、これまでの楽器の進化とは異なる方向で、開発された楽器だと言えるでしょう。