Essay~これまでのこと、これからのこと~

Vol.3 カフェトリンケンというドイツのお茶会

お気に入りNo.1のドイツ文化!

カフェトリンケンに必須のアイテムたち

カフェトリンケンに必須のアイテムたち

ドイツに住んで、ドイツ文化を知る機会はたくさんありましたが、日本でそれをやってみて、一番人に喜ばれてきたのは、「カフェトリンケン」という名のお茶会です。
「カフェトリンケンにいらっしゃいませんか?」という誘いの言葉。日本であれば、主婦同士のおしゃべりの集まりと考えるはず。で、そこがドイツだとすれば?だとすれば、友達、親戚、家族、…、いろんな集まりが考えられるのです。つまり「お茶する」のは女たちだけでなく、男たちだって、お茶に招き、招かれるのです。

この午後のティーパーティーの集まりを、ドイツでは「カフェトリンケン」と呼びます。直訳すると、単に「茶を飲む」という意味。「カフェトリンケンしませんか?」とか「カフェトリンケンにご招待したのですが」と、お決まりのせりふで相手を誘います。
カフェトリンケンに呼ばれて通されるのは、テーブルクロスをパリッとかけかえたダイニングルームです。すると、広いテーブルの上には、日本の家庭用オーブンには絶対入らないと思うほどの、直径30センチぐらいのケーキが3種類も並んでいます。そして、これがないとカフェトリンケンにはならない小道具があります。それは、コーヒーポットをローソクで静かに温め続けるための「シュテューフヒェン」と呼ぶポット台。陶器でできたもの、鋳物でできたもの、ガラスのポット台などがありますが、ローソクに火を入れると、光とガラスが織りなす造形が美しく見とれてしまいます。

カフェトリンケンの必須アイテムはまだまだあります。コーヒーポット、コーヒーカップ、ケーキ皿、シュガーポット、ミルクポットなど、デパートによくセットで売っているティーセットが必要なのです。そして、テーブルクロスやナフキン、キャンドルまでもが美しくコーディネートされ、場合によっては金色に染めた木の葉がテーブルに散らしてあったりして、とにかく演出にかける意欲はものすごいのです。というのも、どんなにケーキがおいしく焼けたとしても、とっておきのティータイムのための心遣いが伝わってこなければ、「いいカフェトリンケンだったね!」という評価にはつながらないのです。
もともと客のほうも、「ちょっとお茶を呼ばれてかえりましょう」みたいな気軽な雰囲気ではやって来ません。つい先ほどまで、互いの家の庭の垣根越しにTシャツで立ち話をしていた隣人だって、カフェトリンケンにご招待した時間には、ネクタイを締め、花束のひとつも抱えてやって来ます。呼ぶほうも呼ばれるほうも、互いに日常性を遮断して、いつもと違う空間で茶を飲み、菓子を食い、そしていつもと違う話題や違う人と人との組み合わせを楽しむのです。そのようなわけで、少々かしこまった演出が望ましいのでしょう。

カフェトリンケンで結婚式??

カフェトリンケンの様子

カフェトリンケンの様子

4年間暮らしたドイツの町に別れを告げ、日本への帰国が近くなる頃、ドイツ人の友人たちから代わる代わるカフェトリンケンにご招待いただきました。合うときも、また、別れるときもカフェトリンケンなのです。
忘れることのできないカフェトリンケンは、つつましく年金生活を送っている老夫婦のお宅でのことでした。以前はそのお宅にカフェトリンケンに呼ばれても、出されたこともない銀のカトラリー群が、送別のカフェトリンケンでは、ずらりとテーブルに並べられていたのです。スプーン、ナイフ、フォーク、ケーキサーバーから生クリームを取り分けるスプーンに至るまで、何から何まで銀尽くし。おそらく代を継いで譲り受けてきたものでしょう。それらはほんのりクリーム色かかっていて、「庶民の生活の大切な節目で、銀器はこんな風に使われているんだ…」。いつもよりずっしりと重い銀のフォークやスプーンでケーキを口に運んでいると、その重みが老夫婦の深い思いやりのように伝わってきました。

なぜって、お茶会が終わった後、これらの銀器を一本一本磨き上げる手間がどれほどかかることでしょう!質素な暮らしの中で、家宝というべき銀器でテーブルを飾り、最高のしつらえで私たちを送ってくれた老夫婦宅での別れの宴、それは、どんなに素晴らしい別れの挨拶や励ましの言葉にも勝るほんとうに嬉しいカフェトリンケンでした。

さて、このカフェトリンケン。「結婚式」、「誕生日」、「クリスマス」までもやってしまう万能茶会なのです。そんな正式な場ということになると、ティーセットやカトラリーもいっそう改まったものが選ばれます。晴れの日のためのコーヒーカップをドイツ人はカップボードに美しく飾り、先祖から受け継いだ銀器を引き出しの中にしまっているのです。
カフェトリンケンというからには、スジャータやスティックシュガーなどけして持ち込んではならなのです。そのために必ずミルクソーサーやシュガーポットがセットになっているでしょ?道具の一つ一つが国の文化や習慣とともに存在しているんですねぇ。どう考えても日本では、ミルクソーサーよりもスジャータの存在意義は大きい!シュガーポットよりカロリーゼロのスティックシュガーのほうが必要!と感じるのですが、カフェトリンケンでは邪道なのです。

ドイツのケーキは大きい

マジパンの飾りは陶器のよう

マジパンの飾りは陶器のよう

このカフェトリンケンという名のお茶会、おおかた午後の三時か四時ごろから始まります。
六時か七時ごろまでケーキとコーヒーで延々と会話を弾ませるのです。飲み物は基本的に延々とコーヒーだけ。「次は紅茶にします?」などとは聞いてくれません。
「夕食の支度が…」などと言って主婦が腰を上げることもありません。ドイツの夕食はパンやハムを切り、飲み物を入れる程度なので、ことさら夕食の準備をしに家に帰る必要もないといえば言えますが、カフェトリンケンで食べなければならないケーキの量を知れば、みなさんも夕食はいらないと納得されるでしょう。

何しろ切り分けられるケーキの大きさが日本ケーキの2~3倍はあります。3種類のケーキが出されたとして、日本のケーキの6切れ分ぐらいのケーキの量をいただくことになるので、家に帰ってそれ以上何も食べられません。ケーキとコーヒーでダボダボのお腹を抱えて家に帰り、あとはベッドに倒れこむだけという結果になります。
つまりドイツでは、ケーキはときとして、″夕食„にもなれるのです。それでも誰一人文句は言いません。ドイツ話の国境を大ドイツ帝国にまで広げてみると、実際オースリアのウィーンでは、ケーキのたぐいを″メールシュパイゼ(粉ものの食事)„とも呼んでいます。砂糖をまぶした野菜をのせて焼いたような″おかず„のようなケーキもあります。フランス革命で民衆に「パンがないならケーキを食べればいいじゃないの」といったとか言わないとかが伝わってくるマリーアントワネットは、オーストリアの皇女でした。お菓子と食事は紙一重のお国柄なので、ケーキとパンも彼女にとっては紙一重の違いだったのかも知れません。

ドイツでは「ケーキ」という言葉が二つあります。一つは「クーヘン」あのバウムクーヘンの「クーヘン」。スポンジケーキや焼き菓子のたぐいを言います。もう一つは「トルテ」。クリームや果物で飾ったいわゆるデコレーションケーキのたぐいです。日本のケーキ屋さんにあるのはほとんどが「トルテ」ということになりますが、どちらのケーキも日本のようにふわりとした軽いスポンジではありません。ドイツには薄力粉がないので、中力粉でケーキを焼きます。つまり、ケーキも食事のようにずしりと重いというわけです。

ケーキにホイップクリームを添えるわけ

ドイツではカフェトリンケンがもっとも手軽、そしてもっともポピュラーなパーティーの形式なので、ドイツの主婦たるものケーキが焼けなければお付き合いができないと言ってもいいほどです。でもご心配はいりません。混ぜればでき上がりタイプのケーキレシピは山ほどあります。
最高の手抜きケーキといえば、トルテ型の直径30センチぐらいのスポンジがスーパーに山のように売っているので、その上にイチゴとか季節の果物をぎっちり並べて、インスタントのゼラチングースを上から流し込んで、冷蔵庫で冷やして終わりの果物のトルテです。ゼリーにきらきらとコーティングされたフルーツトルテが輝き、ホイップした生クリームをドーンと盛って添えれば、宝石のようなケーキに仕上がります。

ドイツ語圏ではケーキにホイップした生クリームを添えてすすめることが多いのですが、その際には、生クリームにはあまり砂糖を加えません。ザッハートルテというウィーンのケーキをご存じかと思うが、あのザッハートルテこそ生クリームとケーキを交互に口に運ばなければいただけないケーキなのです。なぜって、あのどうしょうもない濃厚な甘さのザッハ-トルテを口に含んで「美味しい!」といえるのは、軽い真っ白な生クリームが一口ごとにリセットをかけてくれるからです。

カフェトリンケンと人口問題の関係

ケーキの話から、ここで再びカフェトリンケンの話に戻りましょう。カフェトリンケンに招待されると、そこで一緒になった客と親しくなり、その客から「一度カフェトリンケンに」と誘われます。今度はまた、その客の家で親しくなった別の客から「カフェトリンケンに」と誘わます。これが延々とつづきます。こんなふうにカフェトリンケンがどんどん人の輪を広げてくれるのです。
日本で友人と言えば、たいてい同年齢層の人に限られますが、ドイツでは18歳になればみな対等の大人として向き合うので、一緒になった客と何十歳年が離れていようと、どんどん友達になれます。初対面なのに、自分自身のことをよく話すし、感情ではなく自分の意見としてものを言います。ここで、たかが茶飲み話と思ってノホホンと腰を下ろしてはいけません。私はカフェトリンケンを果てしなく繰り返しているうちにだんだん分かったのですが、ヨーロッパの人々が出会った瞬間にがっちり握手を交わすのは、ディスカッションで互いの意見が合うことを前提としてはいないからです。感情ではなく、自分の意見としてものを言い、意見が違うからと言って気まずい思いをすることはありません。そしてもちろん別れの際にももう一度手をがっちりと握り合えば、これで意見が合わなくても付き合いは長く続くのです。

ヨーロッパ在住中、私はおそらく万を超える握手を交わしてきました。握手は単なるスキンシップ以上に、人間同士が真に自立した大人の関係を保つべき、重要な友好的意味合いを持っているようです。

そして、カフェトリンケンのディスカッションの中で、必ず毎回尋ねられたちょっと変わったドイツ人の質問に触れたいと思います。それは、「日本のどこからいらっしゃったのですか?」ときて「兵庫県です」と答えると、その次は「兵庫県の人口はどれくらいですか?」と返ってきます。さらに細かく西宮市に住んでいたということがわかると、「西宮市の人口はどれくらいですか?」と聞いてきます。日本なら、町の人口がいくらだとかいうことを頭において茶飲み話をすることもありせんよね。でも、ドイツでそれが答えられないとなると、「この人は自分の住んでいる町の人口もしらないのかしら?」と相手はあっけにとられています。ドイツ人の頭の中には、ドイツの主だった都市の人口ぐらいはざっと頭に入っているようなのです。この話には共感する人がけっこういます。『先生、私もドイツで人口をきかれました!』なんて言う人が多いのです。その町がどのような風情の町かというより、数字で町の規模をまず把握しようとする。お茶会までロジカルなのがドイツ人らしいですね。
というわけで、カフェトリンケンに呼ばれた日は、町の人口の事前チェックもどうかお忘れなく。